繭と蜘蛛の糸

私達は生まれてから、たくさんの愛に守られてきました。

 

蚕の繭ようにほんわりと美しいものに包まれて。

 

とても安心できる場所。

 

最初のその場所から、だんだんと外の世界へ。

 

わたしたちは自由に羽ばたくはずでした。

 

しかし、自分の思いとは裏腹にそこには不自由がありました。

 

 

やさしく美しかった蚕の繭は、蜘蛛の巣のようにわたしの回りに張り巡らされ、その小さな隙間の可能性しか持ち合わせていません。

 

それはまるで愛のように、それはまるで「あなたのためよ」というように、とても美しい糸なんだけれど。

 

わたしたちは、蜘蛛の巣にかかってしまった蛾のように、身動きがとれません。動けば動くほどがんじからめになっていきます。

 

じたばたせずに、頑張らずに、冷静に、わたしを絡めている蜘蛛の糸一本一本を取り除き、わたしの存在というエネルギーを解き放ち、いまここで羽ばたくことで蜘蛛の巣から抜け出すのです。

 

そうして、羽ばたいたその先で眺めると、その蜘蛛の巣も優しく美しい愛であったことに気づくのです。

 

わたしたちが恐れから握りしめていた、それを掴んでいれば安全だと思い込んでいた愛の糸。

 

でももう必要がないと気付いた今、わたしたちは蜘蛛の糸を手放し、羽ばたき、感謝と共に愛の世界を進んで行くことができるのです。

 

 

 

 

誰かの言葉を鵜呑みにすると

「お前はダメな人間だ」

 

と言われて、

 

「あ~、わたしはダメなんだ」

って思う人と

 

「あ~、そうですか。でも関係ないわ」

って思う人。

 

同じ事を言われても、その受け取り方は様々。

 

一つ言えるのは、誰かの言葉を鵜呑みにすると、その部分においてあなたの人生のコントロールを失うということ。

 

鵜呑みにした言葉はその部分において、あなたの世界を支配し始める。

「わたしはダメな人間です」という世界に住み始める。

だれかが、称賛してくれたとしても受け入れられず。何をしてもまだまだできていないと感じたり。

 

その部分において、他の可能性が入り込む余地を与えない。

 

それはネガティブなこともポジティブなことも同様。

 

気付いたときが世界を広げるとき。

他の可能性が入り込む余地がなかったその部分に、何かしらの揺らぎが起こったときは、自分の力を取り戻すチャンス。

 

自分の世界をどれほどの部分において誰かにあけ渡してきましたか?

 

 

それを手放せなくしているものはなんですか?

 

 

 

リーダーとして

プロジェクの中心的存在をリーダーと呼びます。

 

その人がいるからそのプロジェクトや集団がまとまり、進んでいきます。

 

リーダーは、全体を創りあげていく過程の舵取りを任される人物。

 

リーダーは中心として、最終的な決定、選択をします。その選択は多岐にわたります。

 

それをチームに波及させ、巻き込みながらプロジェクトを進めます。

 

リーダーは確固とした中心。

 

 

 

では、リーダー的才能を持つ人だけがリーダーでしょうか?

 

 

 

わたしたちは一人一人がリーダー。

 

自分の人生のリーダー。

 

選択は誰かに波及し、影響を与えます。

 

価値のない存在なんていません。

 

あなたの選択が渦まくパワーとなり、この世界に影響を与えています。

 

「一瞬一瞬が選択の連続である」ならば、

一瞬一瞬に渦巻くパワーを放ち、波及させながらわたしたちは常に進んでいます。

 

リーダーは確固たる中心。

 

 

自分自身のリーダーで在るためにどんな選択ができるでしょう?

 

 

 

体と意識

お風呂に首まで浸かって顔だけだして。

 

ふっと、お湯に同化していく。

 

だんだん、だんだん体を感じなくなる。

 

わたしの体がなくなると、鼻を中心とした当たりに自分を感じる。

 

「あー、そうかー、こういう感じになるんだな。おもしろいなー。」

思考が働いているのがありありと感じられる。

 

思考が止まればもっともっと一体となって一つになるんだろうな。

 

思考が分離を創り出し。

思考がわたしを創り出す

 

全ては一つであり、一つは全て。

 

意識はいくらでも拡大できて、どんなものとも一体となれる。

 

体はこの世の中にいるための乗り物。

 

意識を体に押し込めるのは無理。

 

意識は広く広くひろがることで、あなたの乗り物へたくさんのエネルギーを供給するでしょう。

 

どうあればもっとエネルギッシュな自分になれる?

好きなことを選ぶ

今までどのくらい好きなことを選んできたかな?

今までどのくらいやりたいことを選んできたかな?

 

今までどのくらい諦めてきたかな?

 

 

好きなことを選ぶ罪悪感はどこから生まれてきただろう?

 

好きなことをえらんだとき、やりたいことを選んだとき、だれのどんな顔を気にしてきただろう?

 

そんなことの積み重ねで、自分基準で選ばなくなったのはいつだろう?

 

 

選んでいいよ。

 

 

最初はなかなか決められなくて、とりあえず今まで通りの選択をして。でもやっぱりこうしたい!ってギリギリのところで違う選択をすることもあるかもしれない。

そんなことしたら、みんなに迷惑がかかるかもしれない。

嫌われるかもしれない。

怖いけどね。

怖いけどね。

勇気をだして、選んでみる。

悪かったなー、と思ったら謝ればいい。

 

 

そしたらね、喜んでくれる人もいたりして。

嫌われることもなかったりして。

応援してくれる人もいたりして。

 

何よりいちばん自分がよろこびに溢れて。

 

好きなことを選ぶことは自分自身で在ること。

 

だから心の声を逃さないで。

キャッチしても無視しないで。

誰かの目を気にしないで。

 

なかなか選択できなくて、

最初はみんなを混乱させるかもしれない。

自分も混乱するかもしれない。

 

でも、それができるようになったら、自分の好きなことがわかってきた兆し。

 

どうあればキャッチしたものを素直に出せる?

 

あなたがよろこぶのをいちばん望んでいるのは誰ですか?

 

 

 

 

 

 

目の前の誘惑

何が自分にとって明るい未来をもたらすのか?

 

目の前にやってくる選択肢。

 

自分の価値判断によって選択するわたしたち。

たとえば、

お給料は安いし忙しそうだけど、わくわくする楽しそうな仕事を選ぶのか。

 

お給料はそれよりちょっとよくて、とっても暇で楽そうなお仕事を選ぶのか。

 

お金に価値をおく人はお給料の高い方を選び、

何をするかに価値をおく人は楽しそうな仕事を選ぶ。

かもしれない。

(ほかにもいろいろと判断基準はあるけどね)

 

とっても迷うかもしれない。

迷うときは、ほんとはあなたのやりたいことは決まってて、もう一方は誘惑だったりする。

 

一度自分で感じてみてください。

 

その選択がもたらす自分の未来はどんな感じだろう?

 

 

 

内なる自分と手を取り合う

瞑想中のことです。

 

「内なる私、ありがとう」

 

と声をかけました。

 

すると内なる私は話し出しました。

 

 

 

わたしとあなたは一体です。

あなたはわたしの声をいつでも聞いています。

私たちはそろそろ手を取り合うときがきています。

わたしとあなたが喧嘩をしていてはいつまでたっても、私たちのオリジナルな純粋なる光を宇宙へ解き放つことができません。

同じ方向を向きましょう。

あなたのバリアを下げてください。

内なる私につくっているバリアを。

私たちは一つなのです。

わたしは創造のエネルギーと繋がり、真理、本質と繋がっています。

私達が手を取り合えば、そこに常にアクセスできるでしょう。

こうして、静かに座っている時だけじゃなく、どんな時もそこに繋がっていることでしょう。

さぁ、手を取り合いましょう。

 

 

わかってるけどどうしたらいいかな?って思いながら聞いてたのですが。

思い付いて、内なる私に対するブロックをクリアリングしてみました。

すると、私と内なる私は「無限大の握手」をし、内なる私に抱き締められて、とっても明るい光の中でキラキラ金色に輝く龍になりました。

 

ステキよ✨ありがとう、ありがとう✨

 

 

いつも「こっちよ」って囁く内なる私、「そんなの無理だよ」「こうするべき」ってはねのける外なる私。

 

仲直りしたらどんな世界がまってる?