変化すること

明けましておめでとうございます。

すっかり更新途絶えてました。

わたしは元気です。

 

今日は、「変化すること」について。

多くの方が、変化恐怖症ではないかと感じています。そういうわたしもそうですが💦

 

変化するときっていろんな感情や思考がでてきて、なんだかおもーくなったりしませんか?

 

変化することへのジャッジメント、そしてまわりの反応、自分自身への信頼のなさ、なんかが軽々とした変化を遠ざけます。

 

 

テレビのチャンネルを見たい番組に変えるくらい、変化が簡単に選択できるとしたら?

 

そして、またいつでも違う見たい番組に変えてよかったとしたら?

 

2019年、軽々と楽に、変化を楽しみたいものです。

 

 

羽ばたくとき

どんなタイミングで羽ばたくかは自分だってわからない。

 

たぶん、その瞬間にならないと。

 

羽ばたかない理由なんて考えないで。

 

羽ばたこうと思ったときがそのときだから。

 

羽ばたかないのはそのときじゃないだけ。

 

怖いから怖じ気づいてても、不安でも、羽ばたかない理由にはしないで。

 

怖くても不安でも羽ばたける。

 

羽ばたき続けるのに疲れたら、休んでもいい。

 

行き先を変えてもいい。

 

その羽はあなたを自由にどこにでも連れていってくれる羽だから。

 

舵をとるのはあなた。

 

せっかくある羽を羽ばたかせてみよう。

 

それは可能性の世界へ飛び出すための羽。

花の匂いが香るとき

お久しぶりの更新です。

 

余裕って大事だなって思うこのごろです。

 

時間に追われ仕事や家事や子育て介護、お疲れ様です。

 

自然からの癒しを受け取れないほどに、自分を取り巻く状況に翻弄されてはいませんか?

 

最近、花の香りがどこかからやってきましたか?

 

最近、花の香りを嗅ごうと花に鼻を近づけたことはありますか?

 

いたるところにある癒しをどうぞ受け取ってくださいね。

「わたし」という人

わたしたちは、

 

お友達と仲良くしよう。

人に感謝しよう。

誠意や思いやりをもって人と接しよう。

 

などと教えられてきました。

 

そして、

 

仲良くできないからだめだ。

感謝の心が沸いてこない。

言いたいことがいえない。

 

などなど。

その教えに反する自分を厳しく罰してきた人も少なくないと思います。

 

 

その教えには「わたし」という人が欠落していました。

 

「わたし」がそこに含まれなかったために、誰かにたいして教えを遂行しようとすると、「わたし」をまず認識してしまうのでうまくいきません。

 

肝心の「わたし」への接し方は大々的な教えにはなっていません。

 

「わたし」という人と、

仲良くできて、

感謝して、

誠意と思いやりをもてたならば、

誰かとの関係性を、一番身近な「わたし」を大切にしながらも、作り上げることができるんじゃないかな。

 

「わたし」という人があなたの世界に存在していますか?

 

当たり前

「あなたの常識はわたしの非常識」

 

って綾小路きみまろは言っている。

 

 

私にとって当たり前のことが誰かにとても喜ばれるときがある。

 

些細なことをしただけなのにたくさんの人に喜ばれた日。

 

自分にとって当たり前なことって簡単にできることでもある。

 

エネルギーを浪費せずにできること。

 

 

私の得意は誰かの不得意

私の不得意は誰かの得意

 

「あなた非常識ね」っていう前に、

「わたしそれ得意だからやるね」

って言ってしまえば心の平和が保たれるかもね。

 

 

 

 

 

笑う栗

栗、おいしいよね❤

 

栗は小さいときからイガイガ。

 

 

だんだん大きくなって、中の実を熟させる。

 

 

イガイガに包まれたまま。

 

 

そのうち、実がパンパンに熟したら、

パカンと割れて笑顔になって、

「さあ、どうぞ」

と言わんばかりに実を差し出してくれる。

 

 

 

 

いま四方八方にバリアを張っている人は、

中身がパンパンに満たされたら

自然と笑顔になって、

「さあ、どうぞ」

ってあなたの愛をさしだすよ。

 

 

そういうふうになってるの。

 

 

 

愛が見えたらいいのにね

一人が言いました。

 

「愛が見えたらいいのにね」

 

もう一人が言いました。

 

「ほんとだね、愛が見えたらいいのにね。愛が見えたらこんな世界になってないだろうね。」

 

 

 

 

わたしたちは全てを忘れてこの世界にやって来ました。

 

ここに来る前は、愛そのものの世界に居たのでしょう。平穏で楽しく豊かでジャッジのない世界。

 

 

わたしたちはすっかり忘れてここに来ました。自分自身が愛そのものだということも。

 

 

この世の中は愛に溢れている。

 

 

見えない愛を表現しながら生きること。

 

思いやること。

好きになること。

愛すること。

見守ること。

だれかのためにあなたが行動すること。

 

嫌いになること。

怒ること。

妬むこと。

傷つけること。

心配させること。

 

 

愛を表現することは、今を生きること。

愛を表現することは、今を感じきること。

自分を誤魔化さないで、見ないふりをしないで。

 

ネガティブな感情や出来事さえも大きな愛に包まれている。

学びを促す愛。

自分で望んだ魂の成長を促す愛。

もうすっかり忘れちゃったんだけれども。

 

 

「愛が見えたらいいのにね」

 

愛が見えたらこの世はほんとに天国なんだ。

 

そして「愛を見えなくしてる」のも、また神様の愛なんだよね。