傍観者でいること

誰かと誰かの関係性に介入することは自由です。

 

介入は怒りを持っているからでしょうか?

介入は可哀想という気持ちでしょうか?

介入はなんとかしてあげたいという思いでしょうか?

 

 

なぜそう思っちゃうんでしょう?

そして、あなたが本当はなんの関係もないのに、その関係性のなかに入り込み、

ときに非難し、

ときに怒り、

ときに嫌い、

味方し、敵を作り

 

 

そこまでして解決したいものはなんでしょう?

 

 

あなたにはとても問題に見える「誰かと誰かの関係性」は、ほんとうに問題でしょうか?

 

 

あなたがそこに巻き込まれることになんの意味があるんでしょう?

 

 

「誰かと誰かの関係性」はただそうであるだけです。

それを見てどちらか一方に味方し、どちらか一方を敵視するときにあなたが見ているものはなんでしょう?

 

その関係性に反応しているのはあなた自身。

 

そう、あなた自身。

 

だから外側に見えてるもには傍観者でいてください。

 

 

あなたがほんとに見たかったもの、どうにかしたかったものは自分自身にあるはずです。

 

あなたは何を見てる?

見えていないものはなに?

 

目の前の「誰かと誰かの関係性」にのなかに、あなたが気付こうとしているものは何ですか?